本日の営業時間
本日、5/31(木)の営業時間は15時までです。
写真は現在換羽中のふくちゃん。
長い尾羽が抜けて身体が短くなりました。
所々ハリネズミのような
ツンツンヘアになっています。
見た目は痛々しいのですが、
本人はまずまず元気みたいです。
明日からは通常通りの営業いたしますので、
よろしくお願い申し上げます。
- 2018.05.31 Thursday
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- by 白樺整体院
本日、5/31(木)の営業時間は15時までです。
写真は現在換羽中のふくちゃん。
長い尾羽が抜けて身体が短くなりました。
所々ハリネズミのような
ツンツンヘアになっています。
見た目は痛々しいのですが、
本人はまずまず元気みたいです。
明日からは通常通りの営業いたしますので、
よろしくお願い申し上げます。
今日は「足の骨組み」について。
写真は、右足の骨模型を前から見たところです。
この骨の写真を見ながら、
ご自分の右足にある左右のくるぶしに触れてみてください。
左側にある内くるぶしは「弁慶の泣き所」の骨、
「脛骨(けいこつ)」の末端で、
右側にある外くるぶしは
「腓骨(ひこつ)」という細長い骨の末端です。
右足を外側から見たところ。
骨模型の稼動域は狭いのですが、
足首を動かしてみるとこんな感じです。
足首を「曲げる」
足首を「伸ばす」
この曲げ伸ばしの動きをする時に、
足首の骨の構造を知っておくと、
より滑らかに動かせるようになります。
別の模型で見てみましょう。
脛の骨の真下にあって、
内くるぶしと外くるぶしに挟まれるように収まっている
足首の骨、「距骨(きょこつ)」の形がこれです。
3 の骨が距骨。
そして、距骨を横から見るとこんな形。
そう、関節面が「かまぼこ形」なんです。
距骨の上部がこういう形だから、
足首が脛の骨の下で円を描くように動ける。
この骨の構造があるから、
足首の曲げ伸ばしがスムーズにいく。
歩く時や走る時、
この「かまぼこ形」を意識してみてください。
ただそれだけで、足首が軽くなったり、
曲げ伸ばしが滑らかに感じられるようになります。
このお話は、もう少しつづきます。
偶然の一致が起こるとき、自分自身に
「これは何を意味している?この偶然の一致の重要性は?」
と聞いてみてください。
前回の記事の中で、
から引用した部分です。
私は、シンクロニシティや偶然の一致に出合った時には、
自分が素直に感じたままに
その意味を解釈すればいいと思います。
先日の私の場合なら、
「気分が良い時には、更に気分が良くなることや
おもしろいことが起こるんだなぁ」
ということをシンプルに感じただけす。
あとは、
「宇宙の妖精たちが楽しませてくれているんだ」
とも思いました(笑)
エイブラハムの言葉です。
エスター(エイブラハムのチャネル)は、
テレビで中継を観るのが好きです。
自分の好きなアメフトのチームを勝たせるのが好きです。
つまり、彼女は自分の力をつかって、
ほしいものをより良くするために貢献できる方法で
焦点を当てることが好きです。
もちろんそこには影響の力はあります。
しかし、他のものの経験になる、
そのようなものを創造することに関して、
たまに人々はこういう質問をします。
「それは、私が焦点を当てたから起こったのか?
それとも、何かが起ころうとしていて、
私がそれに調節していったのか?」と。
どちらであっても、私たちはこの質問をします。
「そこに焦点を当てると、どんな気分になりますか?」
焦点を当てて良い気分になるなら、
そこに焦点を当て続け、その一部になるといい。
良い気分にならなかったら、
それはそういうものだという異なる経験として捉え、
本当に欲しいものを特定する手助けにつかいなさい。
———DVD『引き寄せの源流 エイブラハムの教え』より
シンクロニシティに対する解釈も、
これと同じようなものだと思います。
自分が良い気分になるシンクロだったら、
ソースとつながっている証だし、
そうでなければ、その反対にある
自分の願望を知るきっかけになる出来事だと思えばいい。
「シンクロや偶然の一致の意味をどう解釈すればいいですか?」
というご質問をいただいたので、
今日はそのことについて書いてみました。
日傘を買いました。
帽子もオシャレで好きだけど、
頭に熱がこもるのがどうも苦手で・・・。
試しにウチの奥さんの日傘を差して歩いてみたら、
驚くほど快適でした。
日陰を歩いているような感じで、
頭もスースーするから汗の量も減る。
昔から「頭寒足熱」と言うように、
よく働く脳みそが入っている頭を放熱できる環境の方が、
精神にはいいようですね。
(特に私のような汗っかきの人には、そうだと思います)
「男が日傘を差す」
正直、多少の抵抗感はありました。
それでも、散歩好きの私としては
不快なまま歩くよりは全然ましです。
「どうせ買うのなら自分の気に入ったものを」と、
大型のショッピングモールや百貨店で
色んな日傘を見ることに。
数千円のものから4万円以上の高級なものまで、
色んな実物に触れてみると、
自分の好みがよくわかりました。
私の好みは「和」の雰囲気があるもの。
ナイロン製のものよりも、
布や木の質感があるもの。
製品や会社にストーリーがあるもの。
使う時に「イヒ!」と気分が上がるもの。
ずっと長く好きでいられそうなもの。
結局、気に入ったものはお店にはなく、
インターネットで探して注文しました。
一昨日に届いた日傘。
初めて使ったのが昨日のことです。
日傘を差しながらルンルンで家を出て10分ほど歩くと、
前から黄色い日傘を差した女性が歩いて来ます。
「あ、日傘差してはるわ。どんなんやろ?」
今まで全く気にしたことがなかった他人の日傘。
これが、自分が持つようになると
気になるものなんですね。
我ながら「おもしろいなぁ」と思いながら、
日傘をチラ見しつつ女性とすれ違う。
「え?・・・うそ!!」
なんと、その女性が差していたのは、
私と同じ日傘の色違いでした。
その後、何年かぶりで映画館へ。
選んだ作品は『ピーターラビット』。
ウチの奥さんたっての希望です。
フルCGの動物たちのリアルな造形と動き、
それに絡む俳優さんとの合成。
見事でした。
特に、冒頭から登場する
スズメの可愛さに心を奪われました。
物語にリアルさが欠けるところに一瞬冷めかけるも、
「これはこういう作品だから」と気持ちを切り替えたら、
映画の世界に入って存分に楽しめました。
映画館が入ったショッピングモールを出ると、
鳥たちの大きな鳴き声が聴こえます。
「キーーー!キーーーーー!」
どうやらヒヨドリのようです。
目の前にある木の
中と外を行ったり来たりしながら、
2羽のヒヨドリが追いかけっこをしています。
ケンカなのかじゃれているのか。
2羽で忙しく飛び回った後、
1羽だけが木の奥にあるフェンスの上に止まりました。
私たちからそのフェンスまでは4メートルぐらい。
かなり近い距離です。
「こんな近くでヒヨドリを見られるなんて!」
飛んで行く前にその姿を撮ろうと、
急いでカメラを取り出す。
カシャ!カシャ!
「あれ?意外に落ち着いてるなぁ。」
カシャ!カシャ!カシャ!・・・・
写真を撮ること数分。
「・・・この子、全然飛んで行かへんやん(笑)」
野生動物だらけの映画の後で、
野鳥の姿をたっぷり見させてもらいました。
そして、今日のお昼はイタリアンのお店へ。
パスタランチを注文し、完食。
「うまかったぁ〜!」
「デザートのクッキーです」
「!!」
なんと出てきたのは、
ウサギ型のクッキーでした(笑)
偶然の一致は、偶然のように見えますが、
本当のところは、偶然や行き当たりばったりの
出来事などないのです。
私たちが偶然や行き当たりばったりの出来事
と呼んでいるものは、宇宙の心の
非局在的な相互関係の結果です。
ひとつひとつの出来事は
無限の意識によってお膳立てされていて、各出来事は、
出来事の性質である無限性が共謀しているようなものです。
あなたの体や、心や、人生の中のどんな出来事でも、
宇宙全体が共謀を企てなければ起こらないのです。
私たちはそれを理解できないかも知れませんが、
本質的な宇宙の真実は、すべてが同時進行的で
偶然の一致的であることです。
すべてのものがすべてのものとつながっていて、
もし私たちが宇宙と同調していれば、
私たちはシンクロニシティを経験します。
私たちがより強くつながっていれば、
偶然や同時に起こる出来事をより多く経験するのです。
従って、偶然の一致を無視しないことです。
偶然の一致が起こるとき、自分自身に
「これは何を意味している?この偶然の一致の重要性は?」
と聞いてみてください。
偶然の一致はあなたの魂からのメッセージです。
それらは非局在的な「自己」からのヒントです。
局在的な自己は、
あなたが自分だと思っている人のことです。
非局在的な「自己」は、
際限のないスピリットのことです。
あなたが両方を経験する、偶然の一致が起こるその瞬間、
あなたは自分の魂を、非局在的な「自己」を垣間見たのです。
あなたが自分の魂に意識的に気づいているとき、
すべてのことを奇跡として経験するでしょう。
あなたは幸せで、あなたの人生は変化し始めます。
あなたには自分の内なる世界と外側の世界の関係が見え、
あなたには自分の人生で起こるひとつひとつの出来事が
宇宙全体によってお膳立てされていることがわかるでしょう。
そして、あなたがこの事実に気づくとき、
あなたの心はスピリットの奇跡を目の当たりにして
うろたえ、驚き、動揺します。
このうろたえは、感謝の気持ちを生み出し、
その感謝の気持ちは、さらに多くの奇跡を活性化させます。
これがあなたをさらに高い意識状態に変化させます。
あなたが、単調でつまらない世界から
魔法と奇跡にあふれた世界へ自分の注意を向けるに従って、
あなたの人生は魔法的で奇跡的になっていきます。
そしてあなたがさらに奇跡に注意を向けると、
あなたはさらに意識的に奇跡を起こす人となるのです。
———ディーパック・チョプラ 著
日傘を初めて使った日に同じ日傘の人と出会う、
動物映画の後にヒヨドリを近くで見る、
ピーターラビットの翌日にウサギ型のクッキー・・・。
昨日と今日で、おもしろいシンクロニシティを体験しました。
シンクロニシティに気づくと、
ソースとつながっている感覚や、
穏やかでいて確かな幸せの感覚が生まれます。
この人生は、奇跡に溢れているなぁと思いました。
昨日、久しぶりに宗教の勧誘の方が来られました。
「未来に不安を感じませんか?」
「・・・いいえ。
特に感じないので、大丈夫ですよ」
「何か、信じておられるものをお持ちなんですか?」
「そうなんです。
自分で言うのもアレなんですが、
僕、結構幸せなんです(笑)」
彼女たちとの会話を終えた後で、
エイブラハムのこの言葉を思い出しました。
自由は、あなたがあなたのままで、
他の人が他の人のままであるのを許せた時にやってくる。
昨日の記事の中で、
「クライアントを尊重する」ということを書きました。
それは、相手が今選択している
「存在状態」を尊重するということです。
そして、自分が今選択している「存在状態」も尊重する。
そうすると、お互いが「自由」になれる。
「自分と相手にプレゼンス(presence)を持ちなさい」
あるオステオパスが仰っていた言葉です。
私が日々おこなっている施術も、
この「自由」への尊重がベースです。
("presence"については、こちらの記事もどうぞ)
私のように宇宙意識や見えない世界からの
メッセージが好きな人もいれば、
聖書や宗教の教えが好きな人もいれば、
それらに全く関係ないものが好きな人もいます。
人生のベースは「自由」。
だから、誰が何を信じていても、
何を好きでも、何を選んでもオッケーです。
ハンバーグが好きでも、刺身が好きでも、
サラダが好きでも、筋トレが好きでも、
ギャンブルが好きでも、釣りが好きでも、
どんな仕事を選んでも、どの政党を応援しても、
どの宗教を信じても、どんな人生哲学を持っていても、
結婚しようがしまいが、全て各人の「自由」。
これと同じことですね。
ところがこのことを忘れて、
誰かを変えようしたり、
自分の信念に賛成するように仕向けたり、
批判やダメ出しをし始めると、
途端に「自由」がなくなります。
枕を顔に押し付けられたように息苦しくなる。
手枷や足枷があるように身動きが取れなくなる。
(これはお互いに、です)
こんなことを書きながらも、
「宗教の勧誘って、無駄だなぁ」と、
否定してしまう自分もいますが(汗)、
勧誘に来た人たちに、
「あなたの考え方を変えて欲しい」とは思いません。
宗教や人生哲学の違いって、
ただ服の好みや食の好みが違うのと同じですもんね。
「誰が何を選ぼうと自由」
そう思ったら、心が一瞬で「自由」になります。
あなたはいつも自分らしくいなくてはならない。
あなたにできる最大のことは、
自分がソースエネルギーとつながっていることに
確信を持つことであり、
他の人にもそう思わせることである。
あなたを好きになる人も嫌う人も出てくるだろう。
それはあなたにはまったく関係ないことだ。
自分が気分よくなることを選び、
他の人には他の人がそうなるように選ばせよう。
こんなことを言って時間の浪費をしないように。
「あの人たちは違う選択をするべきだわ。
そしたら気分もよくなるでしょうに」
その代わりにこう言おう。
「彼らは彼らの、私は私の選びたいものを選んでいるだけ。
そして私は自分が選択をしている時、気分がいいわ」
そしてあとは放っておくことだ。
この教えを、身内や家族、パートナーなどの
自分に近しい人に適用すると、本当に「自由」になれますよ。
(今日の引用は全て『エイブラハムの教えビギニング』から)
少し前に書いた記事、
つづきです。
今日は『新・ハトホルの書』の中から。
日々、治療や癒しをおこなう方には
とても参考になる部分があったのでご紹介したいと思います。
治療者やセラピスト以外の方には
あまりピンとこない内容だと思いますが、
興味がある方は読んでみてください。
ヒーラーとヒーリング
ヒーラーは、人のエネルギーをあつかうことには
危険がともなうことを知っておく必要があります。
たとえば、適切な浄化をしないで病気の人を癒した場合、
ヒーリングが終わった直後にエネルギーが
枯渇してしまったように感じることもあるでしょう。
あるいは、あとになって大変な事態を迎えるかもしれません。
ヒーラーによっては、クライアントに
癒しのエネルギーをもたらしたあと、すぐには感じなくても、
自分の「カー」が底をついているのに気づいて
愕然とする場合もあります。
人がエネルギーを必要とするときには、
ある意識レベル(顕在意識レベルとはかぎりません)の
自己が、だれかれかまわず得られるところから
エネルギーを引き込んでしまうことがあります。
もしあなたがヒーラーの立場で、
あなたがもっている種類のエネルギーを必要としている
クライアントを癒すことになった場合には、
そのクライアントは意識的にせよ無意識的にせよ、
あなたからそのエネルギーを引き抜いてしまうでしょう。
わたしたちが言っているのは
生命をつかさどるエネルギーすなわちプラーナのことで、
それは肉体の霊的ツインといわれる
「カー」に保持されています。
人のエネルギー場が互いにつながると、
エネルギーを求める側からエネルギーを持つ側へと、
いくつものひもが送られます。
それをとおして、エネルギーが欠乏している側は
井戸から水を汲み上げるようにエネルギーを吸い上げます。
こうしたことは自己の別の意識レベルで
自動的に起こってしまい、
ふつうは無意識のうちにおこなわれます。
これこそ吸血鬼という言葉のもつ
象徴的な意味にほかなりません。
つまりエネルギーを人に
「吸い取られてしまう」ことがありうるのです。
実際には血を吸われるわけではなく、
活力となるエネルギーを
「カー」から吸い取られてしまうということです。
こうしたエネルギー現象に対する心構えがなく、
きちんとした理解もないままに、
肉体的、感情的なエネルギーが枯渇していたり、
心理的動揺をきたしているクライアントと接すると、
クライアントが帰ったあとにヒーラー自身は
エネルギーを使い果たしたように感じます。
これは看護師や医師、
そのほか健康管理や医療業務に携わる人が、
しばしば消耗しきってしまう原因の一つです。
そうした職業にある人は、自分の「カー」から
癒しのエネルギーを吸い取ろうとする病人に
つねに囲まれています。
輸血と同様、エネルギーの輸注も可能です。
以上のことがわかれば、
エネルギーに関して初級レベルの理解に達したことになります。
要するに、活力を人から引き出したり
枯渇させたりすることがありうるということです。
・・・と、ここで一旦休憩です。
ちなみに、ハトホルたちが言う「カー」とは、
「エネルギー体」や「エーテル体」と
呼ばれているもののことです。
それでは、つづきをどうぞ。
自分の「カー」の存在や、
生命維持につながるエネルギーがどのように
抜き取られているかを自覚しなければ、
まるで突然自分のプラグが引き抜かれてしまったように、
エネルギーがからからになっているのに
気づくことになるでしょう。
そうすると、休養して
エネルギーの補充をしなければなりません。
一方、ヒーラーの側に別のレベルで
エネルギーの消耗が起きることもあります。
それは個人の感情体のなかの
精妙な「感情の流れ」に関係しています。
その「感情の流れ」は
ヒーラー自身のクライアントに対する考えや
感情などの作用によるもので、
なかにはヒーラーとしての予定表の結果という場合もあります。
予定表とは、ヒーラー自身の期待や
願望にそったヒーリングを押しつけようとするものです。
ヒーラーである人は、癒しがどこからもたらされ、
なぜ自分が人を「癒す」立場にあるのかを、
思考でも感情でもきわめて明確に把握している必要があります。
人を助けたい、よい人間でありたい、
尊敬されたいなどという罪のない願望でさえ、
潜在的な不純物ならびに
歪みや消耗の原因になる可能性があるのです。
施術をする側が、
「なぜ自分が治療や癒しをおこなうのか」を
感情でも思考でも明確に把握しておくこと。
この部分は非常に大切ですね。
あと「ヒーラーの予定表」というのも、
施術者が陥りがちなところです。
「これが正しい」を押しつけるのも違うし、
「この症状にはこれ」というパターンや、
ルーティーンでおこなうのも違うような気がします。
もしヒーラーであるあなたが、
自身のなかからエネルギーを送り出しているがゆえに
自分の活力を枯渇させているとすれば、
あなたはいずれ問題にぶつかることになります。
なぜなら、あなた個人が所有したり
使用したりできるエネルギーは、
次に補給されるときまでの限られた分量だけだからです。
ヒーラー自身が、
自分は癒しのエネルギーの通り道であり、
その源泉ではないことを明確に自覚していれば、
エネルギーはあなたを通過して流れるだけで、
あなたから失われることはありません。
癒しのエネルギーが制限による滞りなく
あなたを通って流れるようになれば、
その純粋な状態によって、
多くのヒーラーが体験しているような
疲労困憊や消耗は大幅に減じることになるでしょう。
もう一つ問題となる点は、
ヒーラーは自分自身の「カー」と生命力について
明瞭に自覚している必要があり、
自身のエネルギーが引き出されたときには、
それを感じとれなくてはならないということです。
残念ながら、ほとんどのヒーラーが
自分のエネルギーを「吸い取られ」たり
引き出されていることに、消耗しきって
へとへとになるまで気がつかないようです。
人を「癒す」ときに自分を守るための
簡単な方法をご紹介しましょう。
それは、あなたの意識の一部を、
体の中央を走るプラーナ菅に向けるだけでよいのです
(詳しくは第1部で述べた通りです)。
プラーナ菅はあなたを天と地に結びつけてくれるので、
それによって天と地の両方から
プラーナを引き入れることができます。
体内でこの二つの精妙なエネルギーが出合うと、
あまねく存在する癒しのエネルギーが
もっと大量にあなたに流れ込み、
同時にあなた自身の気づきもいっそう深まり、
グラウディングしてバランスがとれるようになります。
この「プラーナ菅」は、人差し指と親指で作った輪っか
(「OK!」の時のサイン)と同じぐらいの太さで、
頭頂から会陰まで(或いはそれ以上)伸びていています。
串カツやお団子の様に、
人の身体をプラーナ菅が串刺しにしている感じですね。
そのプラーナ管の中を、
プラーナ(エネルギー、エーテル)が天と地から流入し、
私たちに生命力を補給している。
何種類かのエクササイズも紹介されていますので、
プラーナ菅について興味がある方は
本書を手に取ってみてください。
ヒーラーとしてのあなたは、
自分自身の活力である「カー」への
気づきを養う必要があります。
いずれにせよ、エネルギーを引き入れるために
物理的に近くにいる必要はなく、
何千キロ離れていようとそれは可能です。
ヒーリングには個人のエネルギーを費やすよりも、
無限の宝庫である「すべてなるもの」という源から
エネルギーをまわしてもらうほうが
好ましいのは明らかでしょう。
プラーナは物質と比較すればより精妙ですが、
もっとも精妙なエネルギーというわけではありません。
プラーナよりさらに精妙な波動を有する
エネルギーも存在しており、そうしたエネルギーには
より強力なヒーリングパワーがあります。
あなたの波動が高次へと上昇すれば、それだけ源
すなわち「すべてなるもの」に近づくことになり、
きわめて精妙なエネルギーを得ることができるのです。
ですから、あなたが純粋になっていくにつれ、
あなたのヒーリングの結果もよくなります。
ヒーラーの自己統制の能力が進化すれば、
エネルギーを上手に操ってエネルギーの詰まりを溶かしたり、
結晶化したパターンを解消することができるようになります。
こうした熟達は自然に養われてくるものです。
しかし変化の必要を見てとることと、
変化を強いることのあいだには微妙な違いがあります。
ヒーラーは、そうした変化を起こすのに
機が「熟して」いるかどうかを見極められなくてはなりません。
つまるところ、変化を起こすかどうかの選択は
ヒーラーではなく、癒される側が下さねばならないのです。
自分の意向をクライアントに強いるようなヒーラーは、
どれほどヒーリングの技術に長けていたとしても、
結局はそれほど効果をあげられないことに気づくでしょう。
ヒーラーである人は、
みずからに引き寄せるクライアントは往々にして
自分の心理的・霊的問題を反映している
ということも知っておく必要があります。
癒しの過程で高次のエネルギーの通り道になることは、
ヒーラー自身の学びのプロセスでもあるのです。
自分のプロセスの反映であるクライアントに対し、
謙虚で寛大かつ率直であれば、
そのヒーラーは自己の気づきと思いやりにおいて
さらなる成長を遂げるでしょう。
最後になりますが、ヒーラーは、
人には病んだり苦しんだりする権利もあるのだ
ということを理解する必要があります。
自身の予定表を押しつけるべきではありません。
クライアントが自分の速度で
より大いなる気づきへと進むことができるよう、
その余裕と柔軟性を認めるようにしてください。
引用は以上です。
様々な意識レベルで、
施術者とクライアントの間に
エネルギーのやり取りがあるということ。
施術者が治療や癒しをおこなう意味と、
自分がなぜその立場にあるのかを
思考でも感情でも明確にしておくこと。
グラウディングの重要性。
クライアントへの尊重。
私にとっては非常に価値のある内容でした。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
「私は望む」と言葉にしよう。
望むのは単純に欲しいと思うより力強い。
望めば、期待と願望が含まれる。
「私は望む」と宣言すれば、
それが何であれ望む理由が伴う。
———『エイブラハムの教えビギニング』より
ある日の深夜。
トイレで目覚めた後に、
目が冴えて眠れなくなりました。
「こういう時はどうすればいいですか?」
お客さまからもよく聞かれます。
その日の私は、
冒頭のエイブラハムの言葉を思い出して、
「私の望み」を頭の中で明確な言葉にしました。
私は健康を望む。
何歳になっても若々しい姿形を望む。
いつも自分のイメージ通りに動く身体を望む。
遠くも近くもよく見える視力を望む。
五感を超えた感覚が日々向上していくことを望む。
毎日に自由を望む。
成長を望む。
気づきを望む。
喜びを望む。
ユーモアを望む。
美しさを望む。
穏やかさを望む。
静けさを望む。
毎日、本当の自分とつながることを望む。
毎日、ソースの目で世界を見ることを望む。
豊かで幸せで平和でおもしろい人生を望む。
・・・と、この記事の中に書けないぐらい、
幾つもの望みとその理由が言葉になりました。
そして、知らない間に眠りに落ちていました。
エイブラハムが言うように、
「欲しい」よりも「望む」の方が
言葉のパワーを感じます。
これは個人的な感想ですが、
「私は望む」と言う時には、
心の中に期待と喜びと力強さが伴い、
「私は欲しい」と言う時には、
それを手に入れる期待と共に、
「自分は今それを持っていない」という
不足の方も感じてしまいました。
「明日も元気に活動している自分を望む」
なかなか寝つけない時には、
こんな言葉もいいですね(笑)
「私は望む」を、自分の言葉にする。
一人の時間や眠れない夜におすすめです。
水浴び直後のおふたりさんです。
現在換羽中のニコちゃん。
と、やっと抱卵に飽きたふくちゃんです。
ふくちゃんの抱卵は、
初めて出産した日から1カ月以上も続きました。
いつ飽きるのかと思うほど長かったのですが、
ある日突然、普通のふくちゃんに戻りました。
換羽中のニコちゃんは、
チクチクする身体に触れられたくないのか、
あまり外に出てきません。
写真は、彼女のご機嫌を取るために、
大好きな豆乳をケージの中に入れている様子。
この後、ゴクゴク飲みました。
一方、抱卵の夢から醒めたふくちゃんは
元気モリモリです。
以上、ここ最近の
ニコちゃんとふくちゃんの様子でした。
———『「引き寄せの法則」のアメージング・パワー』より
部屋に入って暗闇のスイッチを探す
などということは、あなたはしません。
部屋を暗闇で満たし、光の源を覆うための
スイッチなどないとわかっているからです。
同じ原理で、病気や不正、邪悪の源などなく、
ただ ”幸福” の、自然な源に対する抵抗だけがあるのです。
この「幸福の自然な源(ソース)」は、
家庭にある電気のようなもので、
常に私たちの周りに存在しています。
私たちがコンセントにプラグを差し込みさえすれば、
「幸福のソース」という電気はすぐに流れてくれる。
この「プラグを差し込む」行為が、
「抵抗している思考を減らす」ということです。
吉田利子さん版の翻訳で言うなら、
「ソースとのつながりを許容・可能にする」こと。
抵抗している思考を心地よい方へ変える→
更に心地よい方へ→もっと心地よい方へ→・・・と、
少しずつ自分のペースで
思考とそれに伴う感情を解放してあげれば、
ソースとのつながりがどんどん明確になっていきます。
(つまり、どんどん気分が良くなっていきます)
昨日の記事でご紹介した「フォーカスの輪」は、
ソースとのつながりを
許容・可能にする方法の一つに過ぎません。
あのやり方が「合わない」とか、
「よくわからない」「しっくりこない」
という方もきっとおられると思います。
そういう方の場合は、
別の方法で思考を転換していったり、
全く関係ないことで「いい気分」になり続ければ、
同じように効果があります。
瞬間ごとに、考えるごとに、問題に直面するごとに、
抵抗からの解放をめざすならば、
あなたは ”幸福” の ”源” に次第に近づいていきます。
どのように感じるかに注意し、
自分にとって少しずつ心地よいやり方で
物事を見ようと意識的に努力するならば、
つまり、物事のもっとも悪い面ばかりを見るのではなく、
できるだけ良い面を見ようとするならば、
あなたはより多くを受け入れるようになり、
より抵抗しなくなります。
そしてその変化を、あなたの人生の環境や出来事は、
ただちに反映しはじめます。
解放感は抵抗を手放したことを示しており、
それは、より受け入れるようになるのと同じことです。
これが、”感情の誘導システム” の効果的な使い方なのです。
「意味のある行動」で現実を変えよう、
なんとかしようとするのではなく、
「抵抗している思考と感情」をなんとかしましょう、
そうすればいずれ現実も変わっていきますよ、
というのがエイブラハムの教えです。
エイブラハムはこのことを
「出来事の旅」と「感情の旅」という表現で説明していて、
私たちが取り組むべきは「感情の旅」の方なんです。
すぐに行動に飛びつくのが私たちの癖。
これは私たちが長年教えられてきたことで、
個人の意識にも、集団の意識にも、社会の意識にも、
歴史の意識にも色濃く染み込んでいます。
「出来事の旅」よりも「感情の旅」をしなさい。
だから、エイブラハムのこの新しい教えが、
私たちの意識に馴染まないのは当然のことで、
すぐに理解できなくても、
実践できなくても全く問題はありません。
私の場合だと、
初めて読んだのが2010年。
それから7年越しでエイブラハムの教えに再会し、
出ている本をほぼ全部買ってそれらを何度も読み返して、
やっと理解できて、実践して今に至ります。
Happyさんの本や動画も
理解と実践の大きな大きな助けになりました。
その結果!!
目の前の現実はほとんど変わっていません(笑)
収入も変わっていないし、
生活レベルも変わっていないし、
セミナーをしたり本を出版したりも全くありません。
ただ、「感情の旅」は大きく変わりました。
今ままでとは変わらない現実の中に、
今ままでには見えていなかった
自由や幸せや成長を感じられるようになりました。
『引き寄せの法則 瞑想CDブック』の中に、
「波動の転換点を迎える」という言葉があります。
「波動の転換点を迎える」とは、
「現実の解釈が変わること」だと私は思っています。
この1年「感情の旅」を続けてきて、
色んなことが見えてきました。
以前なら確実に迷っていただろうと思える様々なことに、
はっきりと答えが出せるようになりました。
「とにかく行動!行動!」という
「出来事の旅」から現実を変えようとすれば、
自分が点けた火を後から消して回るはめになります。
そんなことをするぐらいなら、
すぐそばにいるワンちゃんやネコちゃんを撫でましょう。
お気に入りの車でドライブしましょう。
面白い映画を見ましょう。
心が躍る物語を読みましょう。
昼寝をしましょう。
自然に触れましょう。
散歩をしましょう。
カフェでお茶をしましょう。
美味しいごはんやスイーツを食べましょう。
大好きな歌を唄いましょう。
素敵な人の笑顔を見ましょう。
子供たちの笑い声を聞きましょう。
鳥たちの歌を聴きましょう。
「目の前の出来事は置いといて、まず感情の旅をしましょう。
そして、何かの選択はその後、自分の気分で決めればいい」
誰にでも(もちろん自分にも)
胸を張ってそう言えるようになったことが、
私がエイブラハムからもらった最大の宝物です。
治療者、セラピスト、カウンセラーが、
クライアントから悪い気やエネルギーを受ける(もらう)。
もしくは、クライアントに自分のエネルギーを吸い取られる。
開業して間もない頃に考えたことがありました。
「どうしたらそういうことを防げるだろう?」
治療やセッションを受けるクライアント側からしたら、
「なんて失礼な話だ!」と思われるかもしれませんが、
セラピスト側からすれば切実な問題です。
相手の悪いものが自分に移ったり、
自分のエネルギーが相手に吸い取られることが事実なら、
こんなに怖い仕事はありませんから。
私が尊敬するセラピストに相談しました。
「悪いものを受けないためにはどうすればいいですか?
なんかバリアをつくるみたいな方法はあるんですか?」
「五郎ちゃん(この方は私のことをそう呼びます)、
傲慢になったね」
「え?・・・傲慢?」
「だって、みんな神様でしょ?
私はあなた、あなたは私でしょ?
悪いものを受けないように?
壁を作る?
それって愛ですか?
なんのために癒しをやってるんですか?」
「ガーーーン!!」
ドリフのコントで出てくるトタン製のタライ。
あれをいきなり頭に落とされたようなキツイ衝撃。
自分の傲慢さと愛のなさに気づかされ、
愕然となりました。
「相手を癒すのは自分のため。
自分が愛を知るために相手を癒す。
命を削ってやるんじゃなく、
命懸けでやりなさい。
命懸けでやったら命は縮まらないから」
それからは、「受ける」とか「もらう」とかは
一切考えずに施術ができるようになりました。
ところが、今年に入ってから何人かの同業の方に、
施術の後にしんどくなった体験談とか、
エネルギーが見える方に「もらってるよ」と言われた話とか、
施術者に短命が多いという話を聞く機会がありました。
「山田さんも受けないように気をつけた方がいいですよ」
「そうですね。気をつけます。
アドバイスをありがとうございます」
この問題はもう何年も前にクリアしている。
そう思っていたのに、
改めて言われると気になるもんです。
施術中にもそういうことが頭をよぎるようになり、
施術の後でちょっとダルいと不安になる。
「もしかしたら、これって・・・?」
いかん、いかん。
全然「愛」とちゃうやん!
「せっかく忘れてたのに、いらん情報をもらった!」
ん?・・・忘れてた?
そうか!
腑に落ちてなかったから、
このタイミングでまた来たのか。
しっかり腑に落とすためのチャンスを
今もらったということやな!
・・・と、いうわけで、
今の私にピッタリの腑に落とし方、
エイブラハムが教えてくれた
「フォーカスの輪」をすることにしました。
今日は、私がやった
ほぼそのまんまをご紹介したいと思います。
やり方は以前の記事にも書きましたが、改めて。
まず、自分が望まないことを明確にする。
私が望まないことは・・・
「お客さまから悪いものを受ける(もらう)こと」
「自分のエネルギーを吸い取られること」
「施術の度に自分の心身が弱っていくこと」
「相手との間に壁をつくってしまうこと」
「怖れや不安を感じながら施術をすること」
「この仕事を続けると自分の寿命が短くなってしまうこと」
望まないことが明確になれば、望みも明確になります。
「私が望んでいることはなんだろう?」
白い紙を用意して、
紙いっぱいに時計に見立てた大きな円を描き、
その円の中に少し小さめ(半径5cmほど)の円を描きます。
しばらく真ん中の円を見つめ、
自分の望みが頭の中で明確な言葉になるのを待ちます。
「いつも愛と喜びを感じながら、
お客さまも私も元気になる施術がしたい」
これが私の望みでした。
真ん中の円の中にこれを書きます。
「いつも愛と喜びを感じながら、
お客さまも私も元気になる施術がしたい」
後は、この望みへと近づいていく文章を、
時計に見立てた大きな円に沿って12個書き込んでいけば、
「フォーカスの輪」が完成です。
望みの波動に合っているか、
自分の心にしっくりくる文章かどうかは、
自分の気分、感情、感覚が教えてくれます。
ホッとしたり気持ちが楽になればOK。
ちょっとでも違和感があればNGです。
まずは12時の位置から。
何の不安も怖れも持たずに施術ができる。
・・・いきなりこれはしっくりきませんね。
今の気分に合う文章をもう少し考えます。
「悪いものを受ける(もらう)」という言葉を聞くまでは、
いつも普通に施術ができていた。
これなら大丈夫。
今の気分にしっくりきます。
12時の位置にこの文章を書きました。
次は1時の位置。
今まで施術後にダルくなることもあったが、
元気になることもあった。
2時。
もしかしたら何かをもらっていたのかも知れないが、
おおむね楽しくやれていた。
3時。
つまり、「もらう」という思考さえ入ってこなければ、
自分の中には不安も怖れもなかったということ。
4時。
この思考を新たに抱いたことで、
このことに対する自分の在り方を明確にする
良い機会になった。
5時。
「問題」は常に自分を拡大・成長させるきっかけになる。
6時。
そして、このことについての答えは、
「ソースの自分」がすでに受け取っている。
7時。
自分が今するべきなのは、
答えを知っているソースとつながることだけだ。
8時。
いい気分になる(=ソースとつながる)
ためのツールはいくらでもある。
9時。
施術中にいい気分になるには、
相手の良い面を見ること。
10時。
それは自分が得意とするところ。
11時。
相手を愛する、好きになる、
自分にはそれが必ずできる。
ここまで書いたら、
中心の円の中に書いた望みの言葉と
今の私の波動(気分、感情、感覚)がほぼ一致しました。
「いつも愛と喜びを感じながら、
お客さまも私も元気になる施術がしたい」
この言葉を丸で囲んで強調すると、
更に言葉を追加したくなりました。
「愛おしく思える部分を見れば、
いつもこれができる」
以上が私の個人的な「フォーカスの輪」の実践内容です。
この数分の実践で、
施術に対する不安と怖れはほとんどなくなりました。
私の場合、問題に出合うと
こんな感じで思考と感情の整理をしています。
特に「フォーカスの輪」は実践しやすいので好きですね。
今回のように一度「クリアした!」と思っても、
また何かの拍子にブレることもあります。
そういう時は、再度同じ問題について
思考と感情の整理をすればいいだけです。
私たちに完璧はありえないので、
何度もブレて当たり前。
そう思えば、落ち込むことがあっても気楽でいられますね。
このテーマについてはもう少し書きたいことがあります。
つづきはこちらをどうぞ。