「いつも何の本を読んでいるんですか?」
時々ランチを食べに行くお店で、
若い女性の店員さんから聞かれました。
「え〜っと。小説も読みますし、
『なんで生きてるんだ』みたいな
哲学的な本も読みますし・・・」
「へ〜、そうなんですか。
私も小説が好きで、次に読む本を探してるんですよ。
その本はどんな本なんですか?」
「(どうしよっかなぁ・・・ま、えっか)
これは小説じゃないんですけど。
(ブックカバーを外す)こんな本です」
「(表紙の帯を読んで)
理想の人!私も欲しいです!」
その時に読んでいたのがこの本。
『理想のパートナーと引き寄せの法則』
エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス 著 吉田利子 訳
この本を読んでいた私が、
店員さんにどう思われたのかは定かではありませんが(汗)
内容は、結婚相手や理想のパートナーだけに留まらず、
親子、兄弟を含めた様々な人間関係、
セクシュアリティ、ビジネスパートナー、ペット、
政府、宗教、自己評価についてなど、多岐に渡ります。
ここ数ヶ月エイブラハムの本ばかり読んでいますが、
この本もおもしろくて、短期間で2回読みました。
(きっとまた読み返すと思います)
今日はその中から、
子育てについての質疑応答をご紹介します。
エイブラハムの回答がとても興味深いので、
途中で端折らずに引用します。
とてもとても長いので、お時間がある方はどうぞ。
質問者
わたしたちには子どもがいます。
今、6歳で、2年前からわたしたちといっしょにいるのですが、
わたしたちは彼をエイブラハムの子どもとよんでいます。
彼は創造を通じて(「許容・可能」にすることを通じて)
わたしたちのもとへやってきました。
とても楽しい素晴らしい子どもです。
今では彼が望むもの、願うものは
なんでも実現するとわたしたちは信じているくらいです。
だが彼に何かを求められるのが、
わたしは気に入らないのです。
「玩具を買ってくれる?
あのキャンディを買ってくれる?
これが買いたい。あれが買いたい」
そのとき、わたしのなかで葛藤が起こるんです。
「いいよ。さあ、お金だ。
欲しいものを買っておいで。
おまえはなんでも欲しいものを手に入れられるんだよ」
と言っていいのだろうか。
彼が欲しがるものは別に有害じゃない
……ただ、わたしのほうが嫌なのです。
何が嫌なのか、よくわからないんですが
……でも、どんどん与えていいのかとなると、
非常に難しいのです。
それでもエイブラハムの教えによれば、
彼は望むものをなんでも手に入れられるはずですよね。
彼が欲しがるものをなんでも与える力が
わたしたちにあるなら、それでもいいでしょう。
どうして与えてはいけないんだ、と思います。
でも、待てよ、とも思うのです。
「ちょっと待てよ、子どもにそんなに際限なく与えてもいいのか?」
エイブラハム
なるほど、もう一つ、
間違った思い込みが明らかになりそうですね。
「子どもを甘やかしたら、子どもをダメにしてしまう」
(そうそう、あなたは最近、子どもにとても厳しいんじゃありませんか?)
(おもしろいですね)
質問者
子どもに聞いたら、そのとおり、と言うでしょうね。
エイブラハム
問題は、わたしたちから学んだことが原因のようですね。
言い換えれば、わたしたちが何度も繰り返して、
誰かに何かをしてやるのは
「君にはできないから、わたしがしてやるんだよ」
と告げているのと同じだと言ってきたのを、
あなたは聞いている。
それで、あなたのなかで矛盾が生じているのでしょう。
あなたはインスピレーションのきっかけになりたい。
だが、息子さんの幸福(ウェル・ビーイング)が流れる
唯一の「ヴォルテックス」になっては困る、と思っている。
息子さんが純粋な期待という場から求め、
あなたが与えたいという衝動を感じるなら、
あなたがたはぴったりと合った宇宙の要素です。
言い換えれば、あなたとあなたの手段が
息子さんの「波動の預託口座」のなかへ引き寄せられ、
あなたは協力的な要素の一つになって、
息子さんの望みをなんでも実現する力になります。
だから、あなたに気づいてもらいたいのはたった一つです。
与えなければならないという義務感ではなく、
与えたいという願望から与えるなら、
決してまずいことにはなりません。
言い換えれば、息子さんが純粋に求めるなら、
純粋に期待する場から求めるなら、
あなたはまず断れないでしょう。
でも、息子さんの調和が崩れていて、
隙間を埋めるために求めているなら、
何かが足りないという貧しい気持ちでいるなら、
あなたはまずいと感じるでしょう。
そして、それはまずいのです。
質問者
息子はわたしが与えないだろうなと考えながら求めることがあります。
それも自分の願望と調和していないということですね。
エイブラハム
そのとおり。
そしてあなたも、間違った思い込みを抱かせて
息子さんを混乱させたくはないでしょう。
言い換えれば、
あなたが与えてくれると期待していないなら、
そしてあなたが自分の「ナビゲーションシステム」と
彼の「ナビゲーションシステム」を無視してものを与えたなら、
息子さんに間違った思い込みを抱かせることになりますし、
あなたも嫌な気分になるでしょう。
(質問者:そうなんです。困ったことです)
だから、あなたが自分自身にも息子さんにも
——誰にでも同じですが——いつでも言い聞かせるべきことは、
「あなたの波長が合っていれば、
あなたの思い通りになる。
わたしも宇宙のほかのすべての要素も、
あなたの思うようになるだろう。
だがあなたの波長が乱れていたら、
そして波長が整わない場所から求めて、
頼んだり、すがったり、足りないんだと
要求したりしても、うまくはいかないよ」
ということなんです。
言葉で説明してわかる歳になっているかどうかは別として、
あなたが伝えたい基本的なことはこういうことですが、
あなたはきっと明らかな実例を(あなた自身です)通して
伝えたいと思うでしょう。
「わたしは自分の『源(ソース)』と調和していたい。
そうすれば、それと一致した何もかもが、
わたしたちすべてを同じ場へと
連れて行ってくれる。
そして、物事はうまく展開していく。
だが、あなたの不調和を補う役目を
引き受けたくはない。
わたしはいつでもあなたが
調和していることを願っている。
あなたの調和はあなた自身への
最大のプレゼントであり、
わたしへの最大のプレゼントだ。
わたしの調和はわたしへの
最大のプレゼントであり、
あなたへの最大のプレゼントだ。
そのことを身をもって教えてあげたい」
それを息子さんに理解できる方法で示してやることができます。
簡単な質問をすればいいのです。
「おまえが欲しいものはなんだい?
なぜ、欲しいの?」
息子さんが、だって持っていないから欲しいと言ったら、
あなたは冗談っぽく笑って答えます。
「それはおかしな理由だな。
持っていないから欲しい、と言うなら、
持っているより持っていないほうがいいと思うよ。
でも、楽しいから欲しいと言うのなら、
おまえに賛成するけどね」
言い換えれば、
あなたが息子さんに教えたいのはそういうことです。
質問者
素晴らしい。
そう、それはいいですね。
エイブラハム
息子さんは既にわかりかけていますよ。
でも、あなたが一貫していないので混乱しているんです。
質問者
まったく、そのとおりです。
わたしは息子の創造の邪魔をしているような気がします。
それで……
エイブラハム
息子さんには、こう言えばいいのです。
「いいかい、わたしをあてにしないなら、
おまえはもっと大きな創造ができるかもしれないね。
だって、わたしは……」
質問者
そう、わたしもそう考えていたのです。
息子には自分で望みをかなえる力がある。
どうしてわたしがここにいるんだろう、って。
エイブラハム
楽しいからですよ。
質問者
なるほど。
エイブラハム
どうして息子さんを引き取ったのですか?
質問者
楽しくて、おもしろいからです。
エイブラハム
楽しい……言い換えれば、あなたがたはみな、
お互いの「波動の預託口座」のなかにいるのです。
そして「引き寄せの法則」があなたがたを集めた。
「引き寄せの法則」はほかの
いろんなものすべて引き寄せています。
それが楽しい。
わかるでしょう。
でも、そこに間違った思い込みが一つあります。
「わたしは息子をダメにしたくない。
頼めばなんでも聞いてもらえると思わせたくない」
でも、わたしたちは、
それのどこがいけないんですかと聞きたいのです。
「わたしがそばにいれば、息子を愛しているから、
いつでも望みをかなえてやるだろう。
でも、それでは世間に出て行くとき、息子には
その準備ができていないことになるのではないか」
わたしたちは言いたい。
息子さんの波長が整っていなければ与えない
というやり方をすれば、
「引き寄せの法則」によって作り上げられた世界に対して、
息子さんの準備が整わないはずがない。
そして、息子さんも調和しておらず、
あなたも調和していないなら、
あなたには何も与えることができない。
だから「引き寄せの法則」の働きに対して
息子さんの準備が整っていない、
ということではないのです。
家庭のなかに、あなたが知っている
「引き寄せの法則」のミニチュア版を設定することです。
そうすればあなた自身も息子さんも、
世界のどんなことにも対応できるはずです。
そうでしょう。
親たちが間違った思い込みで「宇宙の法則」を歪めると、
子どもは世間に出て行くときに準備ができていない、
ということになるのです。
「波動の調和」が大きな要素で、その他のことは
二の次、三の次、それどころかずっと下の要素です。
でも、何が正しくて何が間違いなのかを決めようとする
(それが、わたしたちが話している間違った思い込みなのですが)
人たちがとても大勢いて、その人たちは調和を無視しています。
調和がすべてだというのに。
それが難しいんだ、
とあなたがたが言いたいのもわかります
(多くの親たちがそう言います)。
あなたがたは子どもたちに
基本ルールを教えたいと思っている。
子どもたちが健やかに育って欲しい、
路上で遊んでもらいたくない、
スリガラスを食べたりしてもらいたくないし、
公園で変質者と遊んでは困る。
言い換えれば、守ってやらなければ
ならないことがたくさんあるのでしょう。
だが、わたしたちが言いたいのは、
あなたがた自身が調和することで
子どもたちに調和を教え、
それを親子関係の基本にすれば、
子どもたちにいつでも間違いなく頼りになるものを
与えたことになるのですよ、ということです。
そこで、息子さんが何かを求めて、
あなたがいい気分ではないとしたら、
そのときの完璧な答えはこうです。
「なぜかわからないんだが、
わたしはどうも嫌な感じがする。
そして、わたしには自分に約束していること、
特におまえに関して約束していることがある。
いい気分でなかったら、
ちゃんと調和を感じるまで行動しない、
ということなんだよ。
だから、これはいい考えだと感じたら、
つまり自分の全体との調和を感じられたら、
それから実行しようね。
それまでは、嫌な感じがすることは要求しないでおくれ」
これが、あなたが子どもさんたちに言いたいことでしょう。
調和していないときには、わたしは決して行動しない。
嫌な感じだったら、わたしは決して行動しない。
わたしは嫌な感じだったら、決して行動しない。
それは君がどれほど望んでいるかとは関係がないんだ。
わたしは嫌な感じだったら、決して行動しないよ。
皆さんだって、お子さんたちが公園やどこかで
誰かに何かをしろと言われて、
「僕は嫌な感じがするときには、絶対に何もしないよ」
と答えたら、素晴らしいと思いませんか。
(質問者:いいですね、素晴らしい)
「僕は何もしないよ……」と。
「この店で、いっしょにキャンディを万引きしようよ。
いつだってやってるんだ。すごくおもしろいぞ」
「僕は嫌な感じがするときには、絶対に何もしないよ」
(質問者:いいですね、すごいな)
「何を言ってるんだ。つかまるもんか。
だいじょうぶだよ。たいしたことじゃない。
誰にもわからないさ」
「僕は嫌な感じがするときには、絶対に何もしないよ」
「なんでだよ。なんだ。臆病者」
「さっきより、もっと嫌な感じだ(おもしろいでしょう)。
君はとても嫌な感じだ。君とは遊びたくない。
君は嫌な感じだよ。君は嫌な感じだ。
僕は嫌な感じの子とは遊ばないし、
嫌な感じのことはしたくない。
僕はいつだって調和していたいんだ。
パパから教わったんだから」
皆さんは誰かに
「どうせ、あなたはやらないんでしょう」と
言われたことがありませんか。
そしてあなたは考える。
ああ、やるもんか。
そう信じていればいい。
君の流れには抵抗できないからな。
君のネガティブな期待には抵抗できないよ、と。
「期待しない」という場からあなたをせっついて、
何かをさせようとする人に会ったことはありませんか?
まあ、これは大げさに言っているのですが、
あなたがお子さんに抱く夢がかなう場所に
行かなくてはいけない、とわかってほしいのです。
質問者
そして、そこにとどまるんですね。
そうでしょう。
エイブラハム
そこにどどまっている必要はないんですよ。
ただ「宇宙の法則」を
知る必要があるだけです(もうご存知ですね)。
それから間違った思い込みを捨てなくてはいけない。
そして、いつまでも誰かに何かをやれと
動機づけておくことはできないこと、
それだけは覚えておいてください。
そりゃあなたのほうが大きくて、強くて、
言うことをきかないとひどいことになるぞと脅せば、
相手は言うことを聞くでしょう。
馬だって調教できますからね(馬は大きいですよ)。
でも、喜びに満ちた馬には絶対にならないですね。
しかし、相手の最善の部分を見れば、
そしてその最善のバージョンのある場所にあなたが行けば、
あなたはその部分と調和するし、
一つの信号を発することになります。
そうすれば、あなたはインスピレーションの一部になる。
お分かりでしょう。
誰かがあなたを見て愛し、
最善を期待してくれたという経験はありませんか?
そのときあなたはかつてなかったほどに
輝いたのではありませんか?
誰かがそういうふうに感じてくれないと、
輝くのはとても難しいと気づいたのではありませんか?
ほかの人たちは関係ないと思ってほしいのです。
わたしたちは誰にでもそう言います。
くだらない批判をする人たち(親も含まれます)を忘れて、
自分の「波動」のギャップのことだけを考えてほしいのです。
でも、あなたは「意図的な創造者」だし、
なによりもその創造を自分のものにし、
それをお子さんに伝えたいと願っているでしょう。
(質問者:そのとおりです)
とてもラッキーなお子さんですね。
わたしたちがラッキーという意味はおわかりでしょう。
ラッキーといっても運に恵まれるかどうかとは関係ありません。
親御さんが誤りのない一貫性のある
「宇宙の法則」はどう働くかを学ぼうとしている
環境を得られたのが、とてもラッキーだということです。
質問者
前にも教えてくださっているとは思うのですが、
せっかくセミナーに参加したのですから、つまり、
わたしが神さまに(それは自分自身だとおっしゃるでしょうね)
お話できるとすれば聞きたいのですが……
子育でいちばん大事な三つのこととはなんでしょうか?
エイブラハム
「子どもは今のままで完璧であり、もっと大きくなりつつある」
「子どもはわたしの願いを満足させるためにやってきたのではない」
「子どもがすることを見ていい気分になるのはわたしの仕事だ」
「わたしを喜ばせることは子どもの仕事ではない」
ああ、四つになってしまいましたね……。
質問者
ありがとうございます。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
この質疑応答の中で語られていたのは、
「子育て」のことだけではなく、
広く人間関係のことでもありました。
興味を持たれた方は、
何度か読み返してみてください。
そして、更に興味を持たれた方は、
一度エイブラハムの本を手に取ってみてください。
きっと、「人生っていいものだなぁ」
ということを感じられると思います。