害あるエレメンタル(※)たちは、
地球すべての国に伝染病のように広がっている。
どこに行っても人は混乱している。
それは神がそのように人間をつくったからではなく、
人間が人間をそのようにつくっているからだ。
人びとは「頑固さ」を真の意思の力と間違え、
「誘惑」を機会と勘違いする。
しかしいちばん重大な勘違いは、
「自己」を人格が鏡に映った姿と混同することだ。
半潜在意識的レベルにある私たちの人格は、
私たちの移り変わる感情、想念、態度の総計である。
これらの矛盾しあう力と弱さが鏡に映るとき、
私たちの真の「自己」は歪んだ、ぼやけた像として映る。
—— ダニエル・ジョセフ 著 『クジラと泳ぐ』より
※エレメンタル
あらゆる思考・感情・欲望はエレメンタル(=想念形態)をつくり出す。
エレメンタルは特有の形態・エネルギー・
知性を持つ固有の存在として生き続ける。
同じ種類のエレメンタルは集まって
強力なグループ・エレメンタルを形成する性質があるので、
個人であれ団体であれ、同じような振動数の場合は、
こうしたグループ・エレメンタルを引きつけることになる。
他者に不快感を与えていたり
迷惑をかけていたとしても自分の言動を変えようとしない、
人の言葉に耳を傾けないなど、
「頑固さ」は身近な人間関係に害をもたらします。
また、頑固な人は身体の不調を起こしやすいともいいます。
斎藤一人さんは、
「頑固な人と頑張りすぎる人はガンになりやすい」と仰っていました。
あと、「やまいだれに品物が山ほどと書いて『癌(ガン)』。
だから、色んなものを食べ過ぎる人もガンになりやすい」とも。
ただ、ベロベロに酔っ払っている人が
「まだまだ酔ってませんよ〜」と言うのと同じで、
頑固な人も「自分は頑固じゃない!」と言うことが多いですね。
「誘惑」を機会と勘違いする。
例えば「何かを手に入れたい」という欲望が生まれると、
それに向けてどんどん欲望が加速していくことがあります。
車でも洋服でもバッグでも仕事の成功でも、
「これが欲しい!」と思ったら、
インターネットで色んな情報を調べる。
調べれば調べるほど「欲しい!!」が加速して、
熱に浮かされたようにどんどん欲しくなる。
「今だけの値引き」「限定モデル」「この機会を逃すと…」
「この方法を知らないと成功できません」とか、
そんな文句があったら「ポチ」っとクリック。
そして、いざ手に入れてみると、
「・・・あれ?これって、本当に必要だったかなぁ?」
と夢から覚めてしまう。
人格の人生の80パーセントは潜在意識である。
一般的な人は朝起きると習慣で服を着て、
ほとんど潜在意識のレベルで
自分の存在のいろいろな出来事と取り組む。
夜眠ると特定の時間は一時的に
「非存在」の状態に入り、夢のない睡眠をとる。
翌朝彼らは起きて、人格はその前の日と同じものに再生され、
このサイクルがずっと続く。
私たちが1日の決まったパターンで
人生を夢遊病者のように生きているのは、
生きていると言えるのだろうか?
それともそれは生ける屍の生活なのだろうか。
すべての人は、次の重要な人生経験をするために
聖なる力により用意された場所にいる。
私たちの人格に任されているのは、
潜在意識的な眠りから目を覚まして自分が何をしているのか、
なぜそのような行動をとっているのか、
自分が誰であるかに目覚めていくことである。
それによって、潜在意識から、意識、そして真の「自己・意識」へ、
そしていずれは「自己・超意識」へと導かれるのである。
「エレメンタル」という言葉はダスカロス独特の用語で、
喜びも優しさも慈しみも怖れも悲しみも憎しみも恨みも欲望も、
全ての言葉と想念がエレメンタルをつくり出し、
それはこの世界と宇宙でずっと生き続けるそうです。
ポジティブを思えばポジティブを、
ネガティブを思えばネガティブをというように、
過去に自分がつくり出したエレメンタルは、
同様の想念を抱くことにより再び活性化されます。
つまり、頑固な人はどんどん頑固になるし、
誘惑にはまりやすい人はまた次の誘惑にはまってしまう。
また、グループ・エレメンタルが及ぼす影響は大きく、
例えば、ある場所に攻撃的なエレメンタルが渦巻いていたとして、
ネガティブな気持ちを持った人がその場所に行ったら、
そこにあるエレメンタルにシンクロして攻撃的になってしまう可能性もあります。
もちろん逆も然りで、
愛に満ちたグループ・エレメンタルにシンクロしたら、
自分の中にある愛が活性化されます。
「人混みに行くとしんどくなる」という人がいますね。
これは、人々が無意識に発している
ネガティブなエレメンタルを感じ取ることができる、
感覚の鋭さの証しなのかもしれません。
インターネットにアップされた膨大なページが、
エレメンタルの概念と非常に似ていますね。
自分の思想を誰でも自由に表現できて、
過去のモノも現在のモノも存在し続ける。
それらの情報に万人が同時にアクセスでき、
ポジティブなものにもネガティブなものにも同調できる。
良きにつけ悪しきにつけ、
インターネットはエレメンタルのるつぼだとも言えます。
余談ですが、こういう真理を例える材料が増えている今の世の中は、
過去と比べるとやはり良くなっているんだなぁと感じます。
自分が今何を考えていて、
何を意図して、何を実行しているのか。
思考や感情や欲望に
半ば無意識的に動かされている今の自分は、
一体どういう存在なのだろう?
周囲に何を発信しているのだろう?
理性でもって自分を観察する習慣をつければ、
「潜在意識的な眠り」から目を覚ますことができます。
そして、エレメンタルという概念を知れば、
自分が世界や宇宙に対して
何をつくり出しているのかを意識するようになります。
「愛してます、ツイてる、嬉しい、楽しい、
感謝してます、幸せ、ありがとう、許します」
一人さんがすすめる天国言葉を延々と心の中で言い続けることも、
「この人に全ての良きことが雪崩のごとく起こります」と、
知っている人から見知らぬ人まで、
色んな人の幸せを願うことも、
ネガティブなエレメンタルで
世界や宇宙を汚染しない素晴らしい方法だと思います。
人は無意識的に生きていると、
不安や怖れなどのネガティブな思考に自然に流されてしまいますから。
悪いエレメンタルを活性化しないように。
なるべくなら良いエレメンタルをつくり出そう。
そういう意思と行動が、
世界の平和につながっていくと信じています。