昨年の記事に「人の身体は、動かし過ぎか、動かなさ過ぎで壊れる」ということを書きました。
先日の記事に書いた『ボディ・ナビゲーション ムーブメント』という本の中に、この「動かなさ過ぎで身体が壊れる」メカニズムをコラーゲンの観点から説明した興味深い文章がありました。
人体はコラーゲン製造機である。
次に、身体が要求に応える。
そして、動くことで古いものを一掃し、新しいものを取り入れる。
ポイント1:地中からこんこんと湧き出る泉のように、人体は絶えずコラーゲンを生み出している。結合組織の主成分であるコラーゲンは腱、靭帯、軟骨、骨、椎間板などに豊富に存在する。この奇跡のタンパク質は構造体を隔てるだけでなく、束ねてもいる。
想像に難くないが、これは絶妙なさじ加減が要求される。コラーゲンが多過ぎれば粘性が増して可動域が制限され、少な過ぎれば不安定になる。さらに厄介なのは、あらゆる部分が同量のコラーゲン物質を必要とするわけではないという点である。
腰部(胸腰腱膜によって非常に安定している)には多量のコラーゲンが必要だが、三角筋(動きが大きい)は比較的少ない量で足りる。
部位によって可動性が異なるため、状況はさらに複雑になる。例えば肘は一日中よく使われるが、首や股関節が目一杯に使われることはほとんどない。
ではどうやって人体はコラーゲン線維を送るべき場所を知るのだろう。
実は”知る”のではなく、合図 ー 特に人体の動きが出す合図を待っているのだ。
ポイント2:身体が要求に応える。
「使わなければ駄目になる(Use it or lose it)」という諺は単に韻を踏んでいるわけではなく、健全な組織と可動域(ROM)に関する紛れもない真実なのである。
身体を動かすと、体内の組織はその可動性を維持するために適応する。動かさなければそれに応じて、組織を変えていく。
ー中略ー
身体は「おや、首はもう動かさなくていいのか。それならコラーゲン線維を厚めに敷いてスタビリティを高めよう」と考える。身体はいつもその声に耳を傾けて、適応しているのである。
ここで疑問が出てくる。もし組織(特に筋膜と筋肉)が互いにくっついて自由に動けなくなったとしたら、身体の機能はどうなるのだろう。
答えは・・・うれしいものではない。
可動域の減少はさておき、固まった組織は関節痛の大きな原因になる。
先の頚椎の例では、筋膜単位(筋肉と筋膜から成る)が望ましくない場所で互いにくっつき合う。1つの筋肉が引っ張られて別の筋肉をねじり、さらに関節を正しい方向からはずれて引っ張る。周囲の筋肉は無関係の仕事に駆り出され、間もなく一連の悪影響が出始める。
このように身体のある箇所で起きた癒着が、別のどこかの関節で機能障害や痛みを引き起こすことになる。
ここで我々は動きの減少がもたらす恩恵の1つ(ポイント3):コラーゲン線維を一掃して新たなコラーゲン線維を生み出す、という能力に行き着く。
85歳になってもチャチャチャを踊りたいなら、身体を動かすとともに体内にある物質を動かすことが重要である。
例えば、体液の多くは心血管系の血管以外に存在する。これはポンプシステムが備わっていないためで、体液は組織の奥深くで淀んでしまうからである。
その代わり間質液、酵素、微粒子は、主に関節の吸引・放出の推進力により、組織が動いて再利用される。したがって、関節を動かせば関節だけでなくその周辺にある体液を濾過して再生することができる。
コラーゲン、要求、一掃という3つの概念は、筋膜組織、モビリティ、スタビリティの間で絶え間ない動きを意味している。
※モビリティ=可動性 スタビリティ=安定性
専門用語が多くて少し分かりにくかったかも知れませんが、要は「普段動かさないところはどんどん動かなくなっていきますよ」ということです。
逆に動かせば、コラーゲン線維の質も変わっていくし、体液の循環も良くなっていくということ。
年輩の方によく見られる円背(えんぱい)や側弯症は、身体自身の適応の結果とも言えます。
背中を丸めたままの状態が日常的に続けば、身体が「ああ、そうですか。ここは動かす必要がないのね」と判断して、可動性よりも安定性を増すよう組織を変化させてしまうんですね。
これと同じように、肩を動かさなかったらバンザイもしにくくなるし、背中が痒くても自分の手で掻けなくなる。足の指を使わないと踏ん張れなくなるし、外反母趾の様に足のカタチまで変わってしまう。
肉体労働よりも頭脳労働が主流になった今、やはり適度な全身運動は必要だと思います。
散歩、ジョギング、体操、ストレッチ。水泳やヨガもいいですね。
毎日じゃなくても週に3日とか4日とか、こつこつ続けることで身体は変化していきます。
「人の身体は、動かし過ぎか、動かなさ過ぎで壊れる」
動かしにくくなってからでも遅くはありませんが、動かしやすい「今」からはじめた方が楽ですよ。