数年前にまあまあ腹立つことがありまして・・・。
先日、その時の当事者と
ちょっとだけお話をする機会がありました。
お話といっても挨拶程度のものでしたが、
胸のあたりに明らかな「モヤモヤ」を感じました。
「まだ許せてないんやなぁ」という自分の気持ち。
それを再確認しました。
この日記の中で精神的なお話を沢山書いていますが、
私はまだまだ大人げないんです(笑)
「許せないこと」って、
「許そう」と努力して許せるものではないんですね。
大抵は、許せる時が来たら
勝手に許せるようになっているものなんです。
それは時間の経過のおかげかも知れないし、
自分の考え方が変わったからかも知れないし、
許せない相手と離れてしまったからかも知れない。
いずれにしろ、そういう状態になるまで待つしかないと私は思っています。
食べ物に例えれば、
大嫌いなものは口に入れたくないし、まず飲み込めない。
飲み込めないものが消化できるはずがありませんね。
それを無理に食べたって戻してしまうか、
栄養にならずに下痢になってしまうでしょう。
なによりも「嫌だなぁ、不味いなぁ」
と思いながら無理やり食べたものを、
次に出合った時にすぐに食べられるようになるとは到底思えません。
大人になって味覚が変わったとか、
テレビで「身体にいい」と言っていたからとか、
そういうきっかけがない限り自分から箸は伸びないでしょう。
それと同じ様に、
納得いかないことは自分の中に飲み込めないし、
飲み込めない「思い」は消化もできません。
それなのに、
「この程度のことを許せないなんて、
自分はなんて小さい人間なんだ」
「これくらいのことを我慢できないなんて」
「もしかして、自分が悪いんじゃないか?」
と、飲み込めない自分を逆に責めてしまう。
食べ物のことなら「嫌いなんで」と正直に割り切れるのに、
感情や気持ちの問題となると簡単に割り切れない。
割り切れないのに、割り切って飲み込んだことにしてしまう。
まるで、大嫌いな食べ物を
目をつむって鼻をつまんで無理やり飲み込むように。
次に同じ様な出来事が目の前に現われた時、
また飲み込めるのでしょうか?
無理やり飲み込んだ思いは、消化できているのでしょうか?
いいえ。
消化できていません。
そして、消化できていない思いは、
心の奥にちゃんと残っています。
私が先日「モヤモヤ」を感じたように(笑)
では、どうしたらいいのでしょうか?
私は、許せないものは許せないんだから、
飲み込む必要はないと思っています。
無理に飲み込んだってどうせ消化できないんですから、
飲まずに「オエ!」と吐き出したらいい。
飲めなかった理由もあれこれ考えずに、
ただ感じていればいいと思います。
「あぁ、そうか。
自分はこの人のこういうところが嫌いなんだなぁ・・・」
「まだ許せないんだなぁ・・・」
ただ、ぼんやりとそう感じるだけ。
飲み込めなくて許せない自分を一切責めず、
そういう思いを抱かせた相手のことも一切責めない。
ただ感じるだけ。
感じて行かせればいい。
回転寿司、ありますよね。
あれで嫌いなネタが回って来た時みたいに、
ただ行かせるんです。
行かせてしばらく待っていれば、
必ず好きなネタが回ってきますから(笑)
好きなネタは、嬉しいことや楽しいことです。
そのネタが回ってきたら、
嫌いなネタのことはすっかり忘れて大いに喜ぶ。
また嫌いなネタが回って来ても、
考えずにただ感じて感じて感じ切って行かせてしまう。
そして、その後に好きなネタが回って来たら盛大に喜ぶ。
そろそろ嫌いなネタが来る頃かな・・・と思っていたら、
そこにあったはずのネタが無くたっていることもあります。
もちろん、考えて対処できる問題については
大いに考えて解決するべきですが、
考えてもどうしようもない問題についてはそれ以上考えない。
ただ感じることをオススメします。
何よりも誰よりも自分を大切に。
嫌いな人にはなるべく会わない。
行きたくない場所にはなるべく行かない。
仕事なら「これも給料のうち」と諦めて、
家族なら「これも修行やな」とスイッチを変える。
飲めないものを無理して飲み込む必要はないんです。
飲んだフリして後で「オエ!」としてもいい。
飲み込めない自分を責める必要もないし、
「飲み込めたんだ」「消化できたんだ」と思い込む必要もない。
自分が「今」感じていることを、
正直にそのまんまに感じて、感じ切って行かせてしまうんです。
回転寿司みたいに。
私たちが歩いている今は、
完璧を目指す永遠の旅路の道すがら。
大人げなくて当たり前です(笑)