自分の人生の主役を生きる その3

 あなたがたのほとんどは、

 成長する過程で、いくつかの段階を通過する。

 

 最初は、あなたの世界は非常に小さく、

 満たされている。

 

 おもちゃ箱のなかにあるものに、

 もっぱら心を奪われているからだ。

 

 それから大きくなって少し膨張すると、

 外の世界に出ていく。

 

 そこで、人々は何が悪いことかを語り、

 あなたがたを比較し始める。

 

 そのためあなたは安心できず、

 自分の世界の安全性が脅かされているように感じ始める。

 

 さらに大きくなって学校に行くようになると、

 トミーが自分とは違ったサンドイッチを

 食べていることに気づき、

 

 この子はあの子の髪を引っ張ったから

 悪い子に違いないと考えるようになる。

 

 行動を比較し、自分自身が

 比較されていることに気づくようになると、

 あなたは善悪や正しいことと間違ったことの

 判断を下し始める。

 

 あなたに理解してもらいたいのは、

 「すべて」が正しいけれど、だからといって、

 「あなた」がそれを経験しなければならないことではない、

 ということだ。

 

 

 

 わたしたちが言いたいのは、どんな状況下であれ、

 ほかと比較すれば気分を損なうことになる、

 ということだ。

 

 逆に、あるがままの自分を受け入れ、

 気分がよくなることを探せば、

 肯定的なものを引き寄せる中心になれるのだ。

 

 そうすれば、障害を越えて進んでいける。

 

 比較は死の罠だ。

 

 それはほとんどの敗北や失敗の出発点であり、

 中間点であり、終着点である。

 

 あなたをネガティブな感情の場所に引き止め、

 ネガティブなものを引き寄せる場所にとどまらせるからだ。

 

 どんな行動をもってしてもそれを補うことはできない。

 

 そんなことは不可能なのだ。

 

 あなたの感情はあまりに強力で、

 打ち消すことなどできないのだ。

 

 

     ————『引き寄せの法則の本質』より

 

 

 

 

上手くいっていない自分と、

上手くいっている(自分からはそのように見える)誰かを比較して

落ち込むことがあります。

 

 

例えば過去の私だったら、繁盛している治療院や、

「ゴッドハンド」なんて言われている治療家を見ると、

「それに比べて自分は・・・」なんて、

うらやんだり落ち込んだりもしました。

 

そして、そういう場所(ネガティブな感情)から

何かを選択して行動していました。

 

ネットで調べた色んなセミナーに出てみたり、

治療のテクニック・治療院経営・マーケティングの

本やDVDを買ってみたり、成功している治療家の

メルマガやブログを読んでみたり。

 

けれども、どんな行動もただ自分の軸がブレるだけで、

ネガティブな感情を満たしてはくれませんでした。

 

 

ウチの奥さんからはその度に、

「またブレた(笑)」なんて指摘されていました。

 

 

多くの人が私のように、誰かと自分を比較し落ち込んで、

自分で自分の力を弱めているのではないでしょうか?

 

また、そういうネガティブな感情の場所から、

選択や行動を始めているのではないでしょうか?

 

 

 

Happyさんの言葉の中に、この比較の罠

(=自分で自己評価を下げること)から自分を救ってくれる、

とても簡単な思考の転換方法があったのでご紹介します。

 

 

私なりにまとめるとこんな感じです。

 

 

私たち一人ひとりは、

「神さまが創造した壮大なゲーム」の

1プレイヤーとしてこの地球に存在している。

 

 

・・・と思いきや、そうではない。

 

 

実は、私たち一人ひとりが「オリジナルのゲーム」を創造し、

そのゲームをプレイするために「今ここ」に存在しているんです。

 

つまり、私たち一人ひとりは、

オリジナルゲームのプログラマー兼プレイヤーなんです。

 

 

 

 あなたは一つの世界に生きてはいない。

 

 一つの次元を共有し、

 人間の数ほどある別個の世界で個人的に創造しているのだ。

 

 

 

エイブラハムはこの世界を、

多種多様な料理が並んだビュッフェテーブルであり、

多種多様な食材が並んだキッチンであると例えています。

 

ビュッフェのように各人が

好きな料理をお皿に並べて食べたらいいし、

各人が好きな食材を選んで好きな料理を作ればいい。

 

 

それと同じように、

この世界に存在する多種多様な人・物・事象を全て、

自分のゲームを形成するための「データ」として見た時、

 

 

「いいものはデータとしてもらえばいい」

 

 

というのがHappyさんの考え方。

 

 

 

例えば、自分よりスタイルが良くて美しい人を見たら、

「あの人に比べて自分のスタイルは・・・」なんて落ち込むのではなく、

「あの人いいなぁ。よし、データとしてもらおう!」と思うだけ。

 

 

その取り込んだデータが、

自分のゲームの中にどういうタイミングで

どんな風に登場するのかは宇宙におまかせ。

 

ただ、日々目にする「好きなもの」や「あこがれ」を

データとして収集しまくるだけ。

 

 

この考え方、ものすごく気楽でおもしろいと思いました。

 

 

シンプルに「データとしても〜らい!」だけでいいんです。

 

 

凄い人を見て、落ち込む必要も、嫉妬する必要もない。

 

 

私が「うらやましい」とか「ああなりたい」と感じる存在は、

自分のゲーム(=人生)を豊かにしてくれるただの「データ」。

 

 

そう思ったら、こんなに素敵な世界はないですね。

 

 

あと、自分に不要なデータに出会ったら、

それを行動で排除するんじゃなくて、

「このデータはいらない」と思うだけでいい。

 

もっと言うと、不要なデータのことは放っておいて、

好きなデータだけを集めればいい。

 

 

こういう思考を続けていると、

誰かの人生と自分の人生を比べて落ち込むことがなくなります。

 

自分の人生の主役を、胸を張って生きられるようになります。

 

そうなると、誰かの人生の脇役で登場する時にも、

自分の人生の主役を堂々と生きつつ、

「こんにちは。私は私です」って登場できます。

 

 

 

 

 個人が経験する困難の多くは、自分を好きになれない

 ——評価できない、信頼できない——ことから生じる。

 

 自分を信じられない人間は他人に承認を求める。

 

 それ自体が、自分を信じたいという

 本人の望みに反する働きをする。

 

 彼は自分自身を信じられないために、

 他人に承認を求め、

 そのことが自己信頼の欠如を永続化させるのだ。

 

 身近に、自分自身を認め、

 評価している見本となる人物がいる場合のみ、

 人は鼓舞されて自分を評価できるようになる。

 

 不幸なことに、そのような見本となる人間は

 周囲にほとんどいない。

 

 自分自身を本当に評価している人間は

 次のような特徴を持っている。

 

 だいたい、幸せである。

 

 偽善的な笑顔を作らず、

 温かい本物の笑顔を見せ、

 目だけではなく、口元もほころぶ。

 

 あなたが自分のなかに見たいと思っていたものを、

 あなたのなかに見いだし、あなたを評価する。

 

 そしておそらく、

 あなたがまだ気づいていないあなたの一面を指摘する。

 

 

 

少し前の記事でご紹介した

実現リモコン」も良かったけど、

この動画もとてもとても良かったです。

 

 

 

 

彼女の存在は、現実に振り回されず、

自分の感情に正直であり続ける生き方の手本ですね。

 

 

「自分の人生の主役を生きる」って、

どういうことなのか?

 

その参考になると思います。

 

 

興味のある方はご覧になってみてください。

 

 


マイ奈良 11月号

奈良のタウン誌『マイ奈良』の
11月号に原稿を書きました。

 

 

「セルフ・ストレッチ」という連載の15回目です。

 

今回の内容は、背骨と骨盤を柔軟にする体操。

 

 

少し前の記事でご紹介した、ラフのイラストのやつです。

 

 

 

 

あれがこうなりました。

 

   ↓

 

 

 

『マイ奈良』は奈良の書店で販売されている他、

奈良の一部地域の朝日新聞購読者にも配布されています。

カフェやショップにも置かれていますので、

興味がある方は手に取ってみてください。

 

 


自分の人生の主役を生きる その2

昨日はちょっと重たい内容になってしまいました。

 

ウチの奥さん曰く、

昨日の記事を書いている時の私は、

難しい顔をしていたそうです(汗)

 

あまり楽しくなかった記憶を辿ると、

自然に険しい顔になってしまうんですね。

 

 

このことに付随してなんですが。

 

よく過去に戻って自分の心的トラウマの源泉を探したり、

心の癖を改善していくようなセラピーがありますね。

 

私は全然戻らなくてもいいと考えています。

 

なぜなら、心のキズが癒えていない時に

辛い過去を思い出すのはしんどいですもん。

 

そういう辛いことをしなくても、

「今の自分」を肯定できたら

もうそれだけで人生が変わっていきます。

 

 

 

 

「今の自分をそのまんまでオッケー」にする。

 

 

だらしない自分も、

立ち止まっている自分も、

迷っている自分も、

引きこもっている自分も、

キレやすい自分も、

卑屈な自分も、

飽きっぽい自分も、

絶望している自分も、

不幸な自分も、

病気の自分も、

 

 

全部オッケーにする。

 

 

オッケーにして、そこから歩き始めたらいい。

 

 

いや・・・「歩き始める」と言うと、

「行動」のイメージにつながっちゃうから、

ちょっと違いますね。

 

 

つまり、いきなり「意味のある行動」に走るのではなくて、

今の自分を「丸ごとオッケー」にしてから、

自分の気分が良くなることをしたり、

ホッとしたり気分が楽になる考え方をするだけでいいんです。

 

 

このことについては過去の記事にも何度か書きました。

 

 

一旦、自分が問題だと感じていることを脇に置いといて、

全然関係のない好きなことや楽しいことをするんです。

 

 

あと、考え方を変える場合。

 

例えば、誰かの言動で傷ついたり苦しんでいる時なんかは、

まずは「あいつが悪い!」でいいんです。

 

「自分が悪いのだろうか?」ってなると、

途端に自分を責めたり反省したり自己嫌悪が始まりますから、

最初は「クソ!」でも「むかつく!」でもいいんです。

 

 

それと、親だから「尊敬しなきゃいけない」とか、

「世話になったから」とか言って無理して我慢して、

自分のネガティブな気持ちに蓋をしなくてもいい。

 

ウチに来られるお客さまの中にも

時々そういう方がおられるのですが、

その人の心のタイミングが合えばこうお伝えしています。

 

 

「そういう時は遠慮なく、

 『クソばばあ!』『クソじじい!』と思っていいですよ」って。

 

 

もちろん、舅さんや姑さんにもこれでオッケー。

 

そう感じている自分に嘘をつかなくていいんです。

 

 

・・・なんかね、昨日と今日の記事からいくと、

私は相当親が嫌いみたいに思われるかも知れませんが、

そんなことはないんです。

 

本当に(笑)

 

 

 

 

なんでこういうことをしつこく書くのかと言うと、

自分が大なり小なりコントロールされて育っていて、

その影響が今の思考パターンに刷り込まれていると

自覚する必要があるからなんです。

 

 

「自分のことだけ考えて生きたらダメですよ。

 誰かの期待に応えたり、

 周りのみんなに合わせなきゃいけないよ」

 

 

両親だけでなく、教師を含めた色んな大人、

もっと言えば社会全体から、

 

 

「自由に生きてはいけません。

 自己中心的に生きてはいけません」

 

 

と、教えられて育っている。

 

 

私たちに教えた人も先人にそう教えられて育っているから、

誰が悪いとかじゃないんです。

 

ただ、このことを前提として知っておく必要がある。

 

 

 

常に誰かの期待に応えようとする自分。

 

自分の人生の主役じゃなくて、

誰かの人生の脇役を必死で演じようとする自分。

 

 

「家族のために稼がなければ」とか、

 

「家族のためにちゃんと子育てや家事をしなきゃ」とか、

 

「親を喜ばせるために勉強をがんばる」とか。

 

 

行動原理が「自分のため」じゃなくて、

大抵は「誰かや何かのため」になっている。

 

 

だから、人生が息苦しい。

 

 

「誰かや何かのため」に行動する人生が息苦しいから、

世の中や政治家や家族や誰かのせいにして責めたくなる。

 

 

私を含めた多くの人にそういう癖がついています。

 

 

そして、この癖の困ったところは、

自分が誰かの期待に応える癖がついているものだからって、

「他の誰かも自分の期待に応えるのが当たり前」

という思考パターンにはまってしまうことです。

 

言い換えると、自分のドラマの脇役を

当たり前のように誰かに演じさせようとする。

 

一種のコントロールですね。

 

 

でも、「自分は誰かを喜ばせるために生きているんじゃない」と

みんな芯の部分では知っているので、

当の誰かはあなたの期待に応えることが長続きしない。

 

やがて、「期待に応えてくれない(=上手く脇役を演じてくれない)」が、

不満や失望、時には怒りにも変わる。

 

 

「もっと自分に気を使ってくれよ、労ってくれよ。

 誰の金で食えてると思ってるんだ」とか、

 

「キレイに掃除しても誰も気づいてくれない。

 喜びもしないしお礼も言ってくれない」とか、

 

「勉強も部活もこんなにがんばったのに褒めてくれない」とか。

 

 

あとは、誰かの期待に合わせない人を見ると、

 

 

「なんで人に合わせないの?」

 

「空気読まないの?」

 

「自分よりも家族を大切にするのが当たり前でしょ?」

 

「自己チューやな」

 

 

と許せなくなる。

 

 

これはもう無意識のレベルと言っていいぐらい、

かなり深いところにある心の癖だと思います。

 

この癖はほとんどの人が持っているかも知れません。

 

 

 

「誰かのために」「誰かを喜ばせる」「誰かに配慮する」

「誰かに合わせる」「誰かについていく」は、

ある種の「杖」のようなもで、

この杖を外すと歩けなくなってしまう人もいます。

 

 

つまり、その杖を外した時、

「今この瞬間、自分は何をしたいのか?」がわからなくなる。

 

 

 

 

・・・ここで、やっと最初の話に戻ります。

 

 

この「脇役を演じる癖」と「脇役を演じさせる癖」を捨てて、

自分のドラマの主役を演じる(=真に自分の人生を生きる!!)ためには、

自己肯定や自己受容が必要不可欠なのです。

 

なぜ必要不可欠なのかと言うと、

自己嫌悪や自己否定をしていると、

自分が感じていることを信じられなくなるから。

 

(嫌いな人の言うことを信じないのと同じです)

 

 

自分が「今」感じていること。

 

中から湧いてきている正直な気持ち。

 

 

この一番大切な「指針」を信じずに、

誰かの言うことだけを信じてそれに合わせるようになる。

 

 

本当は面白くもないのにみんなに合わせて笑ったり、

自分は行きたくないのに仕方なく行ったり、

好きでもないものを好きなふりをしたり、

持ちたくないものを持ったり。

 

 

「自分ってどんな人なのか?」

 

「自分はどこへ行けばいいのか?」

 

 

親、友人、権威のある人、成功者、霊能者、占い師、宗教家に聞いて、

それらの人から言われたことを信じて選択するようになる。

 

 

そうやって生きていると、

どんどん自分主役のドラマがおかしくなっていく。

 

 

 

 

だからですね、

 

自己否定や自己嫌悪をするぐらいなら、

「ばかやろー!」「あいつが悪い」でオッケーなんです。

 

そこから「私、このままでいいや〜」という気持ちになると安心します。

 

そこまで行ったらしめたもの。

 

あとは、ホッとしたり気持ちが楽になる思考を繰り返せばいい。

 

そうすると、よく引用しているこの感情の段階が、

自分の本質へとどんどん上がっていきます。

 

 

 

新訳 願えば、かなう エイブラハムの教え』より。

 

 

 1 喜び/気づき/力があるという感覚/自由/愛/感謝

 2 情熱

 3 熱意/意欲/幸福

 4 前向きな期待/信念

 5 楽観的な姿勢

 6 希望

 7 満足

 8 退屈

 9 悲観的な姿勢

10 不満ストレス/苛立ち/短気

11 打ちのめされている状態

12 失望

13 疑い

14 心配

15 非難

16 落胆

17 怒り

18 復讐心

19 嫌悪/憤り

20 嫉妬

21 不安/罪悪感/自信喪失

22 恐れ/悲しみ/うつ状態/絶望/無力感

 

 

 

 

今の私の日々は、その繰り返しです。

 

徐々にですが、自分の存在状態がどんなでも、

自分そのものをオッケーにできるようになってきました。

 

 

そうすると何が起こるのかと言うと、

 

自分が「今」感じていることを信じられるようになります。

 

自分の感情に正直になります。

 

自分に優しくなります。

 

自分の気分を最優先して物事を決断するようになります。

 

自分に入れる情報を自分で選択するようになります。

 

自分の機嫌を自分で取れるようになります。

 

世の中や人や物事について、

自分好みの面だけを見るようになります。

 

自己中心的になります。

 

自分以外の誰かに意図を持った期待をしなくなります。

 

全員が自分の人生の主役で、

人生を自由に創造できる力を全員が持っていることを知っているから、

自分以外の誰かがどんな存在状態でも気にならなくなります。

 

誰かが自分に意図を持った期待をしても、

自分の気分を最優先するので、

それにはあまり反応しなくなります。

 

人生に自由を感じられるようになります。

 

人生を信じられるようになります。

 

 

 

今日も長くなってしまいまいした。

 

最後までお付き合いくださってありがとうございます。

 

 


自分の人生の主役を生きる

子供の頃は少年野球をやっていました。

 

確か、小学2年か3年の時だったと思います。

 

野球好きだった父親が、ある日突然、

野球道具一式を買い揃えて、

私と兄と弟をどこかのグラウンドへ連れて行った。

 

私は他の兄弟に比べて

子供時代の記憶がかなり薄いので曖昧なんですが、

確かその日から私の不自由な日々が始まったように思います。

 

 

 

父親はものすごい熱の入れようでした。

 

練習用の道具はどんどん増えていき、

家の前の空き地には簡易のバックネットまで建ちました。

 

ただ、その熱に追いつくほどのセンスと情熱が私にはなく、

最初の頃は父親がトスするサッカーボールを

バットで打つのがやっとなくらいでした。

 

 

父親は高圧的で気分屋で難しい人だったので、

彼の機嫌が悪い時の練習は地獄でした。

 

ミスをすると罵倒されたりボールを投げつけられたり。

 

 

父親とのキャッチボールも苦痛でした。

 

「ミスをしたら怒られる」という恐怖があるから、

私の方はずっと緊張しっぱなし。

 

だから、上手いボールのやり取りはそんなに長くは続きません。

 

やがてボールは父親のはるか頭上へ。

 

 

「・・・(やっちゃったぁ)」

 

 

その先にはいつも田んぼがありました。

 

 

「ボールを見つけるまで帰ってくるな!」

 

 

稲刈り後だといいんですけどね、

稲が育ち盛りの夏なんかは最悪でした。

 

靴を脱いで稲が密集した田んぼへ入り、

泥だらけの迷路の中でひたすらボールを探す。

 

ただ、いつもそこでキャッチボールが終了するのが

唯一の救いでした。

 

 

 

それでもキャッチボールや練習はずっと続きます。

 

夕方、父親が仕事から帰って来る。

 

調子が悪い感じで2階で寝たふりをするも、

「呼んでこい!」という父親に抗えない母親が起こしに来る。

 

 

「お父さん、帰って来たで」

 

 

しぶしぶ外に出てキャッチボールをする。

 

そんな日々でした。

 

 

 

「毎朝走れ」と言われたので、

雨の日も風の日もほぼ毎朝走りました。

 

当時、町内で毎日走っている子供は私ぐらいだったので、

小学校のマラソン大会はいつも1位でした。

 

「ご飯は左手で食べろ」と言われたので、

なるべくそうしていました。

 

「逆立ちしろ」と言われたので、

毎晩冷蔵庫にもたれて逆立ちもしました。

 

身体が硬かったので

「酢を飲め」と言われて飲みましたが、

身体はカチカチのままでした。

 

 

 

小学3年から入った野球チームには、

父親もコーチとして練習に参加するようになりました。

 

毎週末の練習に行くのがいつも嫌でした。

 

雨の日は中止。

 

「やったー!」です。

 

だから、雨が降るのが楽しみでした。

 

そんな不自由な日々が小学6年まで続きました。

 

 

 

当時、テレビの野球中継を「面白い」と思って

観たことは一度もありません。

 

そもそも、好きなスポーツじゃなかったんですね。

だから観たいとも思わなかった。

 

もちろんチャンネルの選択権はずっと父親にありましたが、

父親がいない時にプロ野球でも甲子園(高校野球)でも、

自分からチャンネルをそこに合わせたことはなかったと思います。

 

今でもプロ野球にも高校野球にもほとんど興味はありません。

 

 

 

何年生の時だったか忘れましたが、

小学校の講堂で「私の夢」の発表がありました。

 

画用紙に自分の夢の絵を描いて、

学校のみんなに発表するというやつです。

 

 

画用紙に描いた私の夢は、

 

 

「プロ野球の選手になること」でした。

 

 

これも小学何年生の時だったか忘れましたが、

プロ野球選手を目指して毎朝走っていることを書いた私の作文が、

同じ地区の中学校の授業で紹介されたと聞きました。

 

きっと、「いい子」が書いた文章だったからでしょう。

 

 

小学校を卒業する頃に両親が離婚をすることになり、

そこで私の野球は終わり、少しだけ自由になりました。

 

 

 

 

ここまで長々と書いて何を言いたかったのかと言うと、

「誰かの人生の脇役を、誰かの好みに演じようとしたらダメですよ」

ということです。

 

 

自分の人生というドラマの主役は、

「自分」です。

 

そして、自分が関わる「全ての人」は、

自分のドラマにとっては脇役です。

 

親兄弟でも、自分の子供でも、好きな人でも、友達でも誰でも、

自分のドラマの中でその人達は脇役。

 

ですが、それぞれの人のドラマの中では

その人が主役で、自分が脇役です。

 

つまり、この世界に生きている人全員が、

それぞれの人生の中では主役なんです。

 

だから、誰かの人生の脇役を真面目に演じることよりも、

ただ自分の人生の主役を自由に演じることを大切にすればいい。

 

 

 

でも、子供の頃の私は、

両親(特に父親)のドラマの脇役を

必死で演じようとする「いい子」でした。

 

「プロ野球選手を目指して努力している息子」とか、

「自分の言うことをよく聞く息子」とか、

「野球の才能があって飲み込みが早い息子」という

父親が勝手に作ったシナリオの父親が主役を演じるドラマの脇役です。

 

子供の頃の私は、

親のドラマの脇役を演じることが多くて、

自分のドラマの主役をちゃんと生きていなかったんですね。

 

だから息苦しかった。

 

 

これは家族ではありがちな現象だと思います。

 

 

「私には、私が(自分勝手に)理想とするドラマがあります。

 あなたはその脇役を、私の理想通りに演じてください」

 

 

親が子供に、或いは子供が親に求める。

 

また、妻が夫に、或いは夫が妻に求める。

 

 

その結果、求めてくる方のパワーが強いと、

求められたパワーの弱い方は、

仕方なく相手のドラマの脇役を演じてしまう。

 

 

「いい子」とか「いい親」、

「いい妻」とか「いい夫」という演じ方で。

 

 

自分の人生の主役を放ったらかしにして、

誰かの人生の脇役を必死で演じてしまう。

 

 

でも、私たちの人生の基盤は絶対的な「自由」です。

 

「自由」とは、自分が主役の人生を

好きに創造し生きるという「自由」です。

 

 

誰かの脇役をずっと演じていると、

どこかのタイミングでその不自由に我慢ができなくなって、

「うわーーー!!」と反動が起きる。

 

反抗期、非行、引きこもり、心身の病気、DV、虐待、

(熟年)離婚、薬物依存、はたまた殺人などの悲しい事件は、

自分のドラマを生きられないことが原因なのかも知れません。

 

 

 

 

今の私が小学生の自分に声をかけるなら、

こんな風に言うと思います。

 

 

「誰かの好みに合わせて生きなくてもいい。

 だから、正直に言ったらいい。

 野球は好きじゃないって。

 お父さんは怒るかも知れないけど、

 何も気にしなくていい。

 それはお父さんの問題だから。

 君が悪いわけじゃない。

 今は自分が好きだと思うことをしたらいい。

 好きなマンガとか小説を読んだり、海で泳いだりね。

 世の中のことや色んな人を見ていたら、

 自分が好きなもの、嫌いなものがちゃんとわかってくるし、

 今はそれを知って自分の好みを知る時期だから、

 じっくりと世界を観察したらいい。

 自分の夢とかやりたいことはこれから自然にわかってくる。

 大丈夫。人生ってね、素晴らしいものなんだよ」

 

 

 

この記事を読んでくださっている

「あなたの人生」の主役は「あなた」です。

 

ある人が自分にとってどんなに大切な人だとしても、

その人のドラマの中に自分が入り込んで生きることは、

その人のためにも誰のためにもなりません。

 

人は、誰かの人生の脇役をするために生まれてきたのではなく、

自分の人生の主役を自由に演じるために生まれてきたのですから。

 

 

誰かを喜ばせることや、誰かの期待に応えること、

誰かに喜ばせてもらうことや、誰かに期待することを放棄して、

自分で自分を喜ばせることを基準に自由に生きる。

 

 

そうすることで初めて、

私は私自身を高く評価できるようになりました。

 

 

「誰かのため」より「自分のため」に生きる。

 

 

今はそれが一番大切なことだと思っています。

 

 

 

はぁ〜。

 

40代の半ばにしてやっと気付けました(笑)

 

気付けて良かったです。

 

 


新しい名刺

名刺を新しいデザインで作り直しました。

 

紙も厚めで質感のあるものに変えました。

 

デザインを変えるのは今回で3回目ぐらいになりますが、

個人的には今までで一番いい出来だと思います。

 

 

 

 

 

 

自分が気に入った名刺を誰かに渡せるのって、

幸せなことです。

 

 

みなさま、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 

 


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